俳優として活躍中の桐谷健太さん。
家族想いの一面があり、テレビ出演時に家族の話をして涙を流すことも。
さて、今回の記事では桐谷健太さんの兄のバー経営の噂や母や父親との仲良しエピを紹介していきます。
【桐谷健太】家族構成はコチラ
桐谷健太さんの家族構成はこちらです。
- 父親
- 母親
- 兄
- 桐谷健太さん
- 嫁
- 子供2人
桐谷健太さんは自身のご両親のコトを『徹子の部屋』で話しています。
俺がほんまにアカンと思ったことはすごい言ってくれますけど。
けど俺がほんまにやりたいと思ってることに関しては一回も否定したことないですし
そのため、基本は自由にさせてくれるようです。
ただ、やるからには”自己責任で”という教育方針は徹底されていたんだとか。
そのため、自由に育ててくれたと感謝の気持ちを述べつつ家族のコトを話していました。
明るく周りの人を笑わせてくれる無邪気さは、ご両親の育て方にあったようですね。
桐谷健太からのプレゼント「家族旅行」
桐谷健太さんはご両親に親孝行として、毎年旅行をプレゼントしているんだとか。
『徹子の部屋』で、このように語っていました。
物というよりは兄貴と4人で旅行に行くのがいいかなと
なんでも桐谷健太さんが28歳から役者で食べることが出来るようになり、そこから親孝行をスタートしたんだとか。
その1つとして旅行をプレゼントされたそうです。
旅行中、両親は楽しそうだったようで、少しでも恩返しできて良かったと桐谷健太さんは語っています。
最近は忙しいので、東京に来てくれたときに一緒にご飯を食べに行っています
親孝行な息子を持ったご両親は幸せですね。
【桐谷健太】2014年に一般人女性と結婚し話題に
桐谷健太さんは2014年に一般人女性と結婚をされています。
なんでも出会いは六本木のキャバクラだったんだとか。
ドラマの打ち上げで訪れた場所で、嫁に一目惚れ。
その後はキャバクラに通い詰めて、交際スタート。
コチラの女性は奥様と噂されている方ですが、おきれいな方ですね。
【桐谷健太】子供は2人
桐谷健太さんはお子さんが2人いらっしゃいます。
- 2014年:第一子
- 2016年:第二子
ちなみに結婚も2014年だったため、できちゃった結婚をしたコトがわかります。
【桐谷健太】父親は自由人であり尊敬できる人
桐谷健太さんの父親のコトを『徹子の部屋』でこのように語っていました。
いろんな友達からは「おまえのおっちゃんおもろいな」とずっと言われてて。
また母親から『あんたのお父さんは自由人や』と言われたんだとか。
ただ、桐谷健太さんと同じように人情に熱い一面も。
「住んではった人が病気になってしもうて掃除もできへんからやってんねん」みたいなこと言ってて。
「お前体悪くしたらあかんから行け」って言われて、家に帰った時に「なかなかかっこええな」みたいなことを思ったことが
そういって、他の家庭の玄関前をキレイに掃除していたこともあったんだとか。
自由人でありながら、人情に熱いお父さんだということがわかるエピソードですね。
【桐谷健太】音楽のルーツは父親の歌
桐谷健太さんの家族は全員音楽が得意だったようです。
おかんもおとんも兄貴もみんなギター弾くことができたし、おとんなんかはシャンソンが好きで、よく歌ってくれていましたね
なんでも桐谷健太さんはずっと音楽が身近な存在だったようで、仕事の1つとして歌える事ができているのが嬉しいんだとか。
家族からの英才教育を受け、幼い頃から音楽が自然と周りにあった桐谷健太さん。
心に響く歌声のルーツは家庭環境にありました。
【桐谷健太】父との幼少期のエピソードが深いと話題
桐谷健太さんは幼稚園から小学校1年の終わりぐらいの時から「人生ってなんなんやろ」と思って過ごしていたようです。
そんなときに、「人生」についての父親との会話がこちら。
「なんで人って生きてるんやろ」っていうのをすごく考えてて、おとんに聞いたんですよね。
そして、父親にその答えを求めたら、こんな返信が来たんだとか。
「それを見つけるために生きてるんちゃうか!」
幼い頃に「人生」について考えていた桐谷健太さんも凄いですが、お父さんの回答も素敵ですね。
【桐谷健太】心の支えは母親
子供の頃は落ち込みやすかったという桐谷健太さん。
そういう時は、いつも母親が「なんとかなる」と言ってくれて安心できていたようです。
その言葉がいまだに大きいですね、自分にとって。
今でも母親からの言葉が心の支えになっているようですね。
【桐谷健太】母親からのお守り
ドキュメンタリー番組の仕事でベネズエラの秘境に行った際に母親のお守りがあったことで、助かったと語っています。
おかんが持たせてくれたお守りがあるんですけど、それがちりんと鳴ったんですよ。
それを聞いた時に「地球の裏側なのに見てくれてるやん」って思って感動しました。
なんでも桐谷健太さんはテントの中で過ごしていたそうですが、急に怖くなってしまったんだとか。
その時、母親から貰った”お守り”があるから大丈夫だと思うと、心が安心するのかもしれませんね。
【桐谷健太】初の映画出演で緊張した時にくれた母の言葉
23歳の頃、初めて映画に出演した桐谷健太さん。
西田敏行さんを始め、数々のビックネームが揃った映画に出演することが決まり、緊張のあまり母親に連絡を取ったそうです。
初めての映画でいきなり泣くシーン。
前の日緊張しすぎで、おかんにメールを打ってしまったんですよね。
その内容はこちら。
- ちょっとやばいわ。うまくいくように祈っといてくれ
- 昔の話でもええから、なんか俺の話を聞かしてくれ
その時にお母さんはこんな返信をくれたんだとか。
私はあんたらがおったらいつまでも・・・これ以上の幸せはない
桐谷健太さんは、この母親の話しをする度に何度も目を潤ませていました。
家族愛を感じる素敵なエピソードですね。
【桐谷健太】兄はバーを経営
上の画像は桐谷健太さんのお兄さんですが、顔がそっくりですよね。
桐谷健太さんの兄の名前は桐谷昌弘さんと言います。
大阪府大阪市にある『バーデジャヴ』というお店を経営しているそうです。
ダーツなどもあり隠れ家的なバーなんだとか。
来るお客さんに桐谷健太さんの兄であることは隠していないようです。
【桐谷健太】兄の応援方法が独特だと話題にw
桐谷健太さんが出演する映画の舞台挨拶には必ず来てくれるという弟思いの兄。
しかし、ちょっと変わった応援の仕方をしてくれるんだそうです。
映画『ROOKIES』の際はユニホームを着用、マジックで髭を書き、髪の毛もセットして、桐谷健太さんが演じた平塚平の風貌で一番前の席に座ってる。
また映画『ソラニン』の舞台挨拶の際はマスコットのウサギを頭につけて共演者の宮崎あおいさんを喜ばせたというエピソードもあります。
共演者の間でもちょっとした話題になっているんだとか。
とても独特な応援の仕方に笑ってしまいますね。
桐谷健太と兄の関係
先ほど弟思いの兄であるエピソードをお伝えしましたが、幼少期は仲が良くなかったんだそうです。
兄のことを小学生の頃から子供とは思えない体格で、兄というよりおっさんのようにしか見えなかった
そのため、桐谷健太さんは兄の命令から逆らえなかったそうです。
ちなみに兄からは『さる』と呼ばれており、辛い思いをしたことを語っています。
そんな兄は子供の頃の弟に対する行動を後悔し、今では桐谷健太さんを応援しているんだとか。
【桐谷健太】祖母の心温まるエピソード
2006年に初めて母方の祖母の家がある富山に行ったという桐谷健太さん。
2012年に『はなまるマーケット』に出演した際に、このようなエピソードを語っていました。
90歳なのにめっちゃ元気で、僕と同じくらい早口で喋るし、てかもうずっと喋ってるし、ご飯も3杯くらいおかわりしてました
[chat face=”kiritanikenta.jpg” name=”桐谷健太”align=”left” border=”gray” bg=”none”]90歳なのにめっちゃ元気で、僕と同じくらい早口で喋るし、てかもうずっと喋ってるし、ご飯も3杯くらいおかわりしてました。すき焼きをおかずにバリバリ食うてました。[/chat]
また、このときに祖母の友達がサインを求めて朝6時半から来たんだとか。
その時に祖母に起こされたそうですが、こんな言葉をくれたそうです。
「そういう人のおかげさまやから」
ファンの支え合っての芸能活動ということを祖母はわかっていたのかもしれません。
20年以上会っていない祖母ともすぐに距離を縮めて仲良くなれるのは、桐谷健太さんが明るく接しやすい方だからでしょうね。
まとめ
桐谷健太さんの家族構成や家族とのエピソードについて紹介してきました。
朝ドラや初主演の連続ドラマに出演したことを、ご両親はすごく喜んでくれているそうです。
歌や俳優に大活躍の桐谷健太さん。
これからも多くの人を明るく元気にさせてくれるでしょう。
コメント